トロフィーについて考える

トロフィーは、メダル・盾・カップなどのように、大会などで優勝したことや入賞したという名誉を形に表したものであります。
それは参加者、応援者、競争者などが多く存在することによって、その名誉はより大きくなると考えられます。
例えば、世界が注目するオリンピック等の場合は、かなり名誉がありますが、逆に注目されない親睦会などのマイナーな大会におけるトロフィーは、その参加者にしかわからないので、あんまりスゴイと言われることはありません。

これは、大会の知名度に比例すると考えられます。
例えば、マラソン大会などと比べて参加者が少ない相撲大会などの場合、参加者があんまり居ないと言っても、その能力の高さや知名度はかなりのものがあり、決してマラソン大会やオリンピック大会の優勝より、名誉が低いと一概にいうことはできません。
そのような、優勝に伴って貰うトロフィーは、その参加者にとっては金銭的価値に置き換えることのできないほどの価値がありますが、人気のあるトロフィーは、マニアの中でも、高額な金銭的価値があり、それは、時代によって変化するものとも考えられます。
そう考えると、トロフィーは、保存状態が良ければ、長い年月を経てもその形は変わることなく存在し続けるため、貴金属類と共通するところがあり、仮にそのトロフィーの素材がプラスチックであっても、その人気が高ければ、金や銀などの貴金属類よりも高価な金銭的価値を付けるものと考えられます。

ただ、こういった、名誉あるトロフィーなどは、ほとんどの場合において、本人が自分自身で所有するものと考えられるので、オークションなどの市場に出回るようになるのは、本人がこの世から消えた後のことになると思います。
そのため、本人は、トロフィー自体の金銭的価値の恩恵を受けることはほとんどなく、トロフィーによる名誉という恩恵を受けることが通常であり、そのほうが本人の利益にもなると考えられます。
しかし、そういったことも一概には言えず、大会優勝者が金銭的に窮している場合などは、そのトロフィーも金銭に換価され、その金銭による恩恵を受けるという場合も考えられます。
ただ、こういう名誉ある品物は、手元においておくほうが、本人のためになると考えられるので、あんまりトロフィーを手放してほしくないと、大会参加者や応援者そして、トロフィーの製造メーカーの人たちは考えると思います。
そこには、まさに、大切なものはお金なんかじゃないという理論が展開されるものと思いますが、世の中はある程度のお金も必要なので、名誉とお金をどちらを選ばなければならないといわれる状況になると難しいかもしれません。

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